霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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韓国岳に初登り(H20/1)

      2015/01/10

韓国岳山頂やっと初登り。
明日の方が天気が良さそうだけど、もう待てない。
なにはともあれ霧島に、韓国岳に。

天気は随分と申し訳なさそうに雲が覆っています。
「まぁ、しかたないさ」と雲へとも、自分へとも判らない呟きをしながら車を山に。
走りなれた道に車を駆り、上りなれた道を登ります。
天気もこんな風だから展望も望めない。
今日は取りあえず登れればいい。

登りはじめると、どうも感じが違う。
確かに空一面が灰色で山間が霞んでいるのですが、異様に遠くまで見渡せるのです。
最近の雨で空気が澄んでいるのでしょうか。
遠くは九州の背骨ともいえる熊本の山々、桜島はもとより開聞岳も。
山並みの折り重なる合間には霞がかかり、山並みがグラデーションを描いて薄く、小さくなって遠ざかっています。
その霞ぐあいの遠望はちょと素敵でした。

この寒波で樹氷がついていました。
雪は期待していなかったのですが、樹氷は嬉しい誤算です。
しっかりとカメラに収めて早々に降りました。
2時間弱の慌しい山行です。
未だ来ぬ先の結果を思い悩んでいたのがバカみたいです。
登ってみれば嬉しい誤算もあるものです。

 - 登山日誌 ,

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最近のコメント

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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