霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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稲尾岳 照葉樹林の杜をあるく(H19.7)

      2015/01/10

稲尾岳「うぁ~」
おやっ、帽子を沢にいれて、そのままかぶっています。
水が帽子から頭をつたって滴り落ちます。
沢の水がとても愛しくなる夏の山です。
暑い、暑い、夏の山行は稲尾岳です。

朝5時、空が白み始めた頃、皆が起きはじめました。
二股川キャンプ場の朝は早く始まりました。

何だか昨日、呑みすぎた様です。
後半は良く覚えていません。
二日酔いの上に気温も上がりそうです。
ちょっと拙い感じで山に登らないといけなくなりそうです。

尾根組は沢組を見送ったあと、2台の車に分乗して稲尾岳に向かいます。
8時過ぎに出発して9時過ぎにやっと到着です。
早速、上り始めると沢が姿を現します。
その沢を伝うように登っていきます。
沢の涼しげな音と木々の陰が夏の暑さを感じさせない出だしです。
暫くいくと川の源にきました。
岩の下から突然、川が始まっています。
不思議な感じです。

40分ほどで展望台にでました。
大きな岩がせり出しており、これから向かう枯木岳、稲尾岳が一望できます。
ところで枯木岳とは余りに悲壮な名前ですね。
照葉樹林の素晴らし山なのにどのような云われがあるのでしょうか。

アップダウンのあまりない道を30分ほどあるくと枯木岳山頂です。
枯木岳は標高959m、あまり展望もなくひっそりと三角点がありました。
ここで一休みして稲尾岳へと進みます。
暫く歩くと滝廻りコースと稲尾岳への分岐がありました。
今日は滝廻りコースには行かないとか。
登山道には番号札が下げてあり西口登山口から始まって、ここで100番です。
ここからオレンジの番号ふだからピンクの番号札になり新たに番号が振られています。
この番号はどういった基準でつけられているのでしょうか。
距離でしょうかねぇ。

突然、目の前に小さな社が見えました。
今日の目的地、稲尾神社です。
ここも展望はないですが、可愛い神社が見守る中、日陰で昼食です。
西口登山口から2時間あまりでした。

沢に行っているモンローさんからブドウの差し入れです。
おいしい。
いつもモンローさんから頂く果物はおいしく頂いていますが、まさか今日も頂けるとは思っていませんでした。
感動です。

「うぁ~」
リーダーが帽子を沢にいれて、そのままかぶっています。
水が帽子から頭をつたって滴り落ちます。
気持ちいいでしょうねぇ。
私も早速、真似をします。
下りの沢でひと遊び。
沢の冷たい水が灼熱の暑さを吹き飛ばしてくれます。

二日酔いという不覚の山行でしたが、森の美しさ、沢の涼しさに助けられた一日でした。
一緒にいった皆さんにはご迷惑をおかけしましたね。

[登山記録] 稲尾岳

日程 :平成19年7月29日
参加者:5名
コース:鹿児島県大隈半島 稲尾岳
ビジターセンター-西口登山口-枯木岳-分岐-稲尾神社の折り返し

9:12 西口登山口 登山開始
9:50 自然石展望台
10:22 枯木岳山頂
10:35 池廻りコース・稲尾岳分岐
11:05 稲尾神社 昼食
12:00 池廻りコース・稲尾岳分岐
12:20 枯木岳山頂
13:15 西口登山口 下山

 - 登山日誌 ,

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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