霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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矢岳 ヤマボウシを愛でに(H20.7)

      2015/01/11

ヤマボウシ
春の花は黄色かったり赤かったり、賑やかな風合いで山を飾ります。
そんな春の花達が居なくなると山は急にしっとりとしてきます。
そして、夏の花達が咲き始めます。
夏の白い花達は深緑の山肌に清楚な風を呼びこむようです。
今年の春は山に行く機会も少なく悔しい思いをしました。
せめて、大好きなヤマボウシでもと、いま一人のヤマボウシ大好き人間と矢岳を訪ねました。
去年は皇子原から沢超えでしたが、ことしは近道とのことで大幡沢から挑戦です。
1時間位の楽勝コースとの誘いにホイホイと。

矢岳は花の多い山です。
冬の藪椿からヤマボウシ、秋にはミカエリソウの群生も素晴らしい山です。
去年のヤマボウシも素晴らしく、今の時期、外したくないコースです。

のぼり初めて暫くは緩やかでしたが、直ぐに直登コースに。
まぁ、1時間ほどならと登っても中々山頂が見えずに「本当に1時間で登れるんですかぁ」と泣きを入れるはめに。
考えてみれば2ヶ月も登っていなくて足がなまっている様子。
なんとまぁ、情けない。

登るにつけて向かいの尾根の山肌に白い花が目立つようになってきます。
よく見ると、登っている尾根にもヤマボウシ。
ヤマボウシは葉の上に花をつけています。
下から見ると自分の葉にかくれて、その白い花が見えないのです。
なんとももどかしい。

矢岳の稜線に出ると周りが見渡せるようになりました。
竜王山、新燃岳、中岳、そして高千穂峰。
その山々の山肌に白い塊がいくつもあります。
「あれっ、中岳ってこんなにヤマボウシあったっけ、あっ、高千穂峰も」
そんな言葉が飛び出します。
去年も見た風景のはずですが、今年は特にヤマボウシが花をつけているのでしょうか。

頂上までくると木々も低くなりヤマボウシの花も具合良く見る事ができます。
やはり矢岳の頂上までは行って見ましょうと目指します。
人も少なくヤマボウシを存分に愛でながら。
矢岳頂上は陰もなく暑いので、すこし戻って昼食。
ヤマボウシの下でゆっくりと時の過ぎるのも気にせずに。

竜王山まで折り返しの途中に倒れたヤマボウシ。
殆ど根こそぎの状態なのに、たおれた枝にヤマボウシの花が沢山ついていました。
普段では見れないヤマボウシのカーテンに暫くみとれていましたが、根っこもあらわな哀れな姿は痛ましく、来年は花がつくか心配です。

なぜか、楽勝コースのつもりが降りてみれば夕刻近く。
私の鈍った足のせいか、何時もになく綺麗な姿をみせてくれたヤマボウシのせいか。
どちらにせよ、今年も堪能できたヤマボウシ。
これから灼熱の南国の夏です。
霧島の花は秋の花々の咲きはじめるまで暫くお休みとなることでしょう。
素敵な一日でした。


平成20年7月6日

 - 登山日誌 , ,

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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