霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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九重連山 ミヤマキリシマを訪ねて(h21.6)

      2015/01/11

九重連山九重にツツジを見に行ったのは6月7日、もうひと月がたとうとしています。
流石に九重はとおくて帰ってからは写真を整理するのがやっと、あっというまに月日が過ぎて顛末を書くのが今頃に・・・ただサボっていただけですけど。

九重のミヤマツツジを是非みたい。
そんな想いが無謀な九重、日帰り登山を思い立ちました。
九重がホームグランドのコパさんは何時ものことのようですが、私はちょっとヘビーな一日でした。
鹿児島を出たのは夜もあけやらぬ3時です。
4時ではちょっと遅いといわれて3時の出発、今日といえば今日だけど限りなく昨日に近い今日。
それというのも今日は九重の山開き、早く行かないと車を止めるところがないとのこと。

途中のサービスエリアで熊本のコパさんと待ち合わせです。
そこで一路、熊本空港インターへ、そこから車一台でミルクロードを進みます。
ミルクロードは阿蘇の外輪を進みます。
そこはミルクロードの名に相応しい乳白色の世界、一面を朝霧が覆っています。
あまりに綺麗さに車をとめてカルデラを覗き込むと霧のなかに浮かぶ水田、そして外輪山は雲の瀑布に・・・すばらしい風景です。

雲の瀑布に目と時間を奪われて漸く登山口に
今日の登山口は牧の戸登山口の反対側、赤川だったかな?
いつもよりは少し長くなる道のりだそうです。
ここから?を目指します。
長い坂をのぼっていくとチラホラとドウダンツツジが、お目当てのミヤマキリシマも見え始めました。
すかさずカメラをとりだす私、でもこれから現れる絶景をまだ知りません。

扇が鼻の頂上はピンクの絨毯を敷き詰めたようでした。
ミヤマツツジが山を覆っています。
その中に3種類のドウダンツツジ、ツクシドウダンが赤い釣鐘を一杯つけて彩りを添えています。
そして、「霧島のに比べて品が無い」と評されたイワカガミ。
イワカガミの花は始めて見ました。

扇が鼻から久住山を目指して進みます。
途中、牧の戸からの登山道に合流して見慣れた風景になりました。
今日は無謀にも扇が鼻から久住別れ、三股山までいって折り返しです。
みなれた山小屋をすぎて直ぐに久住別れ、ここから急な坂を下ります。
ここを引き返してくると思うとちょっと憂鬱。

くだり終わったところは北千里ヶ原、以前に長者原から登ってきたときに来たところです。
霧島とはちがった雄大な風景が楽しませてくれます。
ここで、ちょっと早い昼食、コパさんは何時ものようにチャンポンです。
私も食べたいけど・・・それよりも眠い。

さて、三股山。
あぁ、ちょっとヘタってきました。
先をいく二人は元気がいい。
三股というのだからピークは4つ無いと説明がつかない。
一つ目のピーク手前で絶景。
次の山の山肌をピンクのツツジと空木の緑が埋めています。
上からツツジのピンク、下から空木の緑、そして交わるところがジグソーパズルのように入り乱れています。
どこかで見たような・・・そうだ、にしき絵の赤富士の構図です。

ここでとうとうダウン、もっと先までいくという二人におかれて昼寝。
ピーカンの中での転寝は気持ちがよくても体に悪い。
後に日焼けの苦しみを味わうことに。

降りてきた二人に合流してひたすら帰路を急ぎます。
あぁ、またコパさんが岩陰を目指しています、もう~。
あの降りてきた九重別れの急登を進みます。
やっと登ると来るときには見落としたツツジたちが出迎えてくれます。
さて、さて、これからも長い道のりです。
登りに楽しませてくれたツツジたちの励ましを聞きながら疲れた足を進めます。
1人だけ疲れを知らない御仁がおりますが、まぁマイペースで。

やっと念願の九重のミヤマキリシマを愛でることが出来ました。
案内してくれたコパさん、ありがとうございます。
また来年も期待しています。

九重連山 登山記録

登山日 平成21年6月7日(日)、なんと山開きの日
登山者 谺、コパさん、アキさん

3:00 鹿児島空港インター
7:00 赤川登山口 登山開始
9:00 扇が鼻
10:20 久住別れ
10:50 北千里が浜(昼食)
11:52 三股山登山口
12:20 三股山山頂付近
13:30 三股山登山口
14:20 久住別れ
15:10 扇が鼻
16:20 赤川登山口 下山
20:00 鹿児島空港インター

 - 登山日誌 ,

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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