霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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大浪池 名残雪とマンサク(H21.3)

      2015/01/11

マンサク「おやっ、山が白いですよ」
自分で言ってから、その言葉に驚いてしまいました。
今日は霧島に春を運ぶ花、マンサクを愛でる山行でした。
春を探しにいって冬にばったりと鉢合わせ、そんな感じで今日が始まります。

マンサクといえば大浪池です。
池と呼ばれていても立派な火山、その大きな火口湖の縁にマンサクは咲くのです。
30分で登れるのでゆっくりと9時集合、登山口につくとマンサク目当ての登山客が一杯です。
登山口から随分と離れたところに車をおいて登り始めます。

思いがけなく鉢合わせしてしまった冬は石畳を凍らせ、森を白くおおっています。
今年の冬は暖かく霧島の雪化粧も少なかったので、思いがけない雪は嬉しくもありますが、春を探しにきた身にとっては複雑な想いです。

30分ほどで火口につくと一面樹氷です。
霜柱は20Cmくらい伸びていておじいちゃんの頭のよう。
同じように白くなっている韓国岳を背景に樹氷の写真をとります。
しばらくは樹氷の森を彷徨って冬の名残を楽しみます。

東回りに進むと黄色い花が所々に、マンサクです。
でも、マンサクの黄色い花ごと樹氷が覆っています。
マンサクも一度伸ばした花びらをちぢこませています。
黄色い花を白い樹氷がつつんで・・・温泉卵のようです。

思いがけない樹氷と縮こまってしまったマンサクを眺めながら進んでいきます。
見上げると韓国岳も白くせまってきます。
山肌をしろい樹氷が覆っています。
「桜の花みたい」
そうですねぇ、今の時期、枝を白く飾った木々が山肌をかざるとすれば桜でしょうねぇ。
「吉野の山はこんな風なのかなぁ」
心を騒がす桜の季節も、もう直ぐです。

不思議な風景を愛でつつ火口縁を一周しました。
食事は・・・火口湖に下りてからです。
急な上に雪で滑りやすくなった急な火口壁をおりていくと、風波のうちよせる火口湖畔です。
チャポン、チャポンと波の音を聞きながら食事、見上げると火口壁、向こうの火口縁の上でも食事のようです。
おやっ、韓国岳がいつの間にか土色になってきました。
春の雪は儚く刹那の夢を見ているようです。

大浪池には竜の伝説があります。
その竜神を祭ったのか小さな祠がありました。
ここの竜にはいろいろな伝説がありますが、それはおいおいと。
帰りの登山道は登りの雪化粧が嘘のようになくなっていました。
日曜日は女尊男卑のラムネ温泉で汗をながして、つぎのマンサク散策に思いをつなぐ一日でした。

大浪池 登山記録

登山日 平成21年3月15日
登山者 k&m

9:55 大浪池登山口(登山開始)
10:30 大浪池山頂(大浪池避難小屋)
11:00 マンサク群生地(東周り1/4週あたり)
12:10 韓国岳避難小屋
12:55 大浪池山頂(大浪池避難小屋)
13:10 大浪池湖畔(昼食)
14:55 大浪池山頂(大浪池避難小屋)
15:20 大浪池登山口(下山)

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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