霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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俵山・冠ヶ岳縦走(阿蘇外輪山)(H19.9)

      2015/01/10

俵山夜明け前の東の空が、下のほうから明るくなり始めました。
明けの明星が明るく輝き日輪の先導役を務めています。
ここは高速道路、溝辺のパーキングエリア。
4台の車と15人の山好きが集い、これから向かう阿蘇、俵山・冠ヶ岳のことなどを三々五々と話しています。
いよいよ出発です。

鹿児島を出発して3時間後、9時に俵山の登山口から登り始めます。
俵山麓の展望台からは阿蘇の山々が目の前に広がって勇壮です。
これから6時間ほどの間、この阿蘇の山々の風景が消えては現れて私達を元気付けてくれることになります。

今回は交差縦走です。
8名と7名に分かれて俵山からと地蔵峠から登ります。

俵山直下はススキ野でした。ススキが朝日に照らされ優しくゆれています。
そのススキを過ぎると鮮やかな紫色のツリフネソウが出迎えてくれました。
今日は花を愛でる山行でもあります。

俵山は緩やかな稜線を目の前に広げています。
その前面は一面にススキの山肌に一本の登山道の筋があるだけです。
何も掴む物もない急登です。

上り詰めて右手の方に暫く進むと俵山山頂、1095mです。
そこで休みながらこれからの道程をたしかめます。
「あの鉄塔まで行くのよ」
「あれ?」
「いいえ、あっちの遠いほう」
今回は非常用パワーのを絞りださないといけないかも。

沿道にはマツムシ草が咲いています。
今日の空を映したような薄い青色の花びらです。
今回は最後までマツムシ草や秋の花々に励まされました。

俵山からの道のりは、それほど高くはありませんが、決して楽でもないピークを幾つか登り降りしながら進んで行きます。
マツムシ草の季節という事もあり、登山客の団体とよくすれ違います。

ちょっと早いですが、見晴らしの良い小高い丘で昼食です。
すでに太陽は高くなり、遮る影もないので崖淵に腰を置き吹き上がる風に涼をとりながらの昼食です。
きょうは暑い山行になりました。

「ヤッホー」・・・「ヤッホー」。
即行で帰ってくる声は、木霊でなく交差縦走の相手です。
12時30分、無事にランデブー、朝わかれて3時間半ですが妙に懐かしさがこみあげてきます。
「ここを登ったら後は横歩きよ!、頑張って」、信じても良いのかなぁ。
車の鍵とエールを交換して、おのおの自分の目的地に向かって歩きはじめます。

冠ヶ岳は登山道を右に折れて往復30分の折り返しです。
小学生位の女の子が1人、仲間に加わりました。
しばらく林道をすすむと山頂です。
山頂からは車道も見えて今日の山行が終りに近い事を教えてくれます。
いつの間にか女の子のお父さんも加わり山頂のひと時をすごします。

もとの登山道まで戻り「地蔵峠 60分」の道標を右に曲がってフラットな林道を進みます。
最後の休憩をとって10歩ほど歩くと車道、「おやっ、何だ?」と思うまもなく車道を横切ってまた山道に入っていきます。
そして御地蔵様の祭られた丘にたどりつきました。
今日の終点です。
6時間の山行でした。

逆のチームにトラブルがあり最後はちょっとバタバタしましたが、マツムシ草をはじめとした秋の花々を愛でながらの山行でした。

俵山・冠ヶ岳 登山記録

山行 阿蘇 俵山・冠ヶ岳 交差縦走
参加 俵山→地蔵峠組 7名
地蔵峠→俵山組 8名
5:50 溝辺パーキング集合、出発
8:50 俵山登山口 登山開始
10:30 俵山 山頂
12:30 交差の相手組と合流
13:50 冠ヶ岳 山頂
15:10 地蔵峠 到着

 - 登山日誌 ,

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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