霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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矢岳側から中岳トラバースルート(H20/2)

      2015/01/10

中岳麓高千穂河原から中岳を矢岳側に迂回して進むルートは幾つかあります。
昨年は高千穂河原から竜王山の麓へ進み、炭化木の沢あたりから新燃岳、獅子戸岳の鞍部に進む樹海ルートを何度かあるきました。
とても深い森で春には新緑や沢山の花を愛でることができる素晴らしいルートです。

高千穂河原から竜王山、皇子原の三叉路に行く途中に「このルートはわかりにくく危険です」と気になる文章の添えられた道標があります。
中岳・新燃岳方面へのルートのようです。
以前から気になっていたのですが、今回はこのルートへのお誘いがありました。

今日は8時半に高千穂河原集合です。
何時ものように古宮に一礼して森の中に分け入ります。
中岳を左に見ながら、まだ蕾のかたいミヤマキリシマの群生の中を矢岳に向かって進みます。
私自信、久々の山行です。
懐かしい顔を見ながら話しながらの山行は楽しいものがあります。

途中、件の立て札を皆で読んで確認して、さらに矢岳の方へ進みます。
今日はオプションとして炭化木の沢への行程が組まれています。
ここを訪れるのも久しぶりです。
何時もの通りの、しかし、少しずつ朽ちていく炭化木。
その姿は初見の驚きと、その後の寂しさを醸してくれます。

今回は、件の立て札のところからではなく、三叉路近くの沢から中岳を目指して進みます。
無き水の気配を辿りながら、枯れ沢を登っていきます。

沢の石が小さくなり始めた頃、件の立て札からのルートと交差する地点に着きました。
そのルートは沢を横切り中岳をトラバースするコースをとります。
私達もここから右におれて通常のルートを進みます。
この辺りから上り坂、中岳を視野にいれながら暫く上ります。

ルートはわかりにくいとは言え、思ったよりもしっかりとした道ができています。
目印のテープも比較的多くあります。
ただ、積雪時や夏場の茂った時は随分と判りにくくなるでしょう。
このルートで出会った人は1人のみです。
迷ったらどうしようもありません。
やはり危険なルートということでしょう。

暫く登ったあとは木々も低くなり、目の前に新燃岳の緩やから稜線が見えてきます。
新燃岳の山肌は高い木々も無くなだらかな草原の趣です。
こちらから見る新燃岳はなんと優しい姿をしているのでしょう。
あのエメラルド色の火口湖を思い浮かべながら暫く見入ることに。

中岳と新燃岳の鞍部、野之湯ルートとの交差点で暫く休んだあとは中岳経由で高千穂河原へと帰ります。
きょうは寄り道しながらゆっくりと、初めての、そして気になっていたルートを堪能した一日でした。

中岳トラバース 登山記録 日時 平成20年2月11日

コース 高千穂河原-河原・皇子原三叉
路-炭化木の沢-枯れ沢-中岳トラバースルート-中岳・新燃岳鞍部-中岳-高千穂河原

参加者 私、O、O、A、F

8:30  高千穂河原(出発)
9:20  高千穂河原・皇子原の三叉路
炭化木の沢
11:30 枯れ沢(昼食後出発)
12:05 本来のルートと合流
13:20 中岳・新燃岳の鞍部
13:50 中岳山頂
15:00 高千穂河原(下山)

 - 登山日誌 , ,

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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