霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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霧島縦走(H20/2)

      2015/01/10

韓国岳雪景「縦走をしていないやつはもぐりだな」
山仲間が言っておりました。
もう長いこと霧島を歩きまわっていますが、縦走は初めてです。
この前、高千穂河原から往復縦走をしましたが、えびの高原と韓国岳の頂上までを歩いていないので縦走と認めないとか。
その後に冒頭の台詞です。

もう、「もぐり」のままでいいかぁ、そう思っていましたが、何処かに引っかかる霧島縦走。
まぁ、それほどポピュラーなルートというところでしょうか。
それでという訳ではないですが、若いのを誑かして縦走を企画しました。
一人は生まれて初めての登山、もう一人も2回目です。

朝、6時に待ち合わせです。
まだ暗いなかを買出しをして霧島に、高千穂河原のおばちゃんはまだ来ていませんが車を1台おいてえびの側にむかいます。
7時というのに、もう車が止まっています。
さぁ、縦走開始です。

韓国岳は山全体が白くなっています。
登山口から雪が積もり樹氷が綺麗です。
雪を踏みながら、樹氷を愛でながら頂上に向かいます。
若いもんに遅れ気味で頂上に着いたのは1時間後。
なかなかのペースです。
相変わらず風の強い頂上は早々に後にして、風裏に入って暖かいコーヒーを一杯。

韓国岳の下りは雪と急勾配で滑る滑る。
幾度となく転ぶ若いもんを笑いながら楽しい道のりは続きます。
中腹のびわ池は相変わらず水が無く、その湖底を雪が平らに覆っています。

獅子戸岳をすぎ、新燃岳だけとの鞍部で早い昼食です。
まだ10時過ぎ、カップラーメンのスープの温かさが身にしみます。
新燃岳の火口を覗くと何時もの翡翠色の湖面に氷が張っていました。
どこも頂上は風が強い。
新燃岳山頂も証拠写真をとったら直ぐに退散です。

中岳・・・高千穂峰が勇壮です。
両翼を広げた峰は小学校の教科書に出てきた山の象形文字みたい。
そんな話をしながら急勾配をおります。

「足がぷるんぷるんするぅ」
若いのが石畳を歩きながら悲鳴をあげています。
膝と脹脛が慣れない山行に疲れたのでしょう。
それにしてもはじめてにしては良いペースです。
若いもんには叶いません。

1時過ぎに下山して3人とも初めてとなる霧島縦走は終わりました。
6時間、まぁまぁですね。
「縦走したのぉ、寒かったでしょう」
「ええ、痛いくらいでしたよ」
「私が来たとき-3度だったものねぇ」
高千穂河原で料金を払いながら暫くおしゃべり。
さて、温泉に入って・・・えぇ!ソフトクリーム食べるのぉ?

<h3?霧島縦走 登山記録

日時 平成20年2月17日

コース 霧島縦走路 えびの高原-韓国岳-獅子戸岳-新燃岳-中岳-高千穂河原

参加者 私、M、A

7:10  えびの高原(登山開始)
7:45  韓国岳5合目
8:20  韓国岳山頂
10:00 獅子戸岳山頂
10:10 鞍部(食事)
11:20 新燃岳山頂
11:50 中岳山頂
12:40 高千穂河原(下山)

 - 登山日誌

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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