霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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高隈山系の縦走(H19/5)

      2015/01/10

高隅[6:30] 「コツコツ」、車の窓を叩く音で目をあけると青い空です。
今日は高隈山行です。ここの待ち合わせは3人、そして垂水港へ、ここで11人そろい登山口に向かいます。皐月のひんやりとした風は、今日の山行に相応しい、清々しい気分を添えてくれます。
山好きを乗せた四輪駆動車が大野原林道を進みます。くねった道を左右に、それと同じくらい上下にも揺れて進んでいきます。

[8:58] スマン峠登山口は、相変わらず暗い入り口を開けて待っていました。出発するとのっけから坂道です。「ふぅ」と言う間もなく坂は急になっていきます。一九坂です。水のみ場と書いてある道標には「一、九坂」との表記、この「、」は何だろうと思いながらも急登は続きます。

[10:00] スマン峠で一息ついて妻岳を目指します。今日は妻岳直登コースを進むとリーダーの説明がありました。30年前には道があったとか。「藪こぎ」、頭に浮かんだ単語を二重線で消して出発です。暫く進むと登山道が稜線から外れてきます。「藪こぎ」、消したはずの単語が前後から聞こえてきます。
「道がな~い」、前の方から声がして、果敢なチャレンジは終わりを遂げました。通常ルートにもどって御岳・妻岳の分岐を進みます。

[10:40] 御岳・妻岳の分岐です。リックを下ろせば、何処からとなく振舞いが。ロールサンドを頂きながら見回すと、見返草が一面に広がっています。常緑の木々から零れ日、その下の一面の見返草に紫の花が付くとどんな風景になることでしょう。秋かぁ。

[11:10] 妻岳の登りも急でした。妻岳の頂上について、断念した直登コースを確かめてみます。まだ、ルートは微かに残っているようです。さぁ、今後誰かが、この直登コース挑戦するのでしょうか。ここから御岳、二子岳を眺めてみます。御岳・妻岳・二子岳、この高隈家族は結構タフです。

[11:42] 二子岳は妻岳から見ると「もっこもっこ」と二つのピークが見えましたが、ピークもコルも分からぬままに、「ここがピークです」との声。遠景と実際に踏み入れた感覚とは合わないものですね。昼食場所を求めて平岳へ向かいます。途中に大きな崩落がありロープが渡してありました。「男はいいねぇ」、入会後最初の参加である私を打ち捨ててリーダーは前に行ってしまいました。

[12:32] トラバースしたあと、少し戻って平岳頂上です。ここでちょっと遅い昼食です。らっきょ、スイカ、ビワ・・・色々な物が回ってきます。「山に行くと体重が増えるのよ」、何処かで誰かが呟いています。青い空と心地よい風、山行仲間の笑い声が山頂をうめて週末のひと時が過ぎて行きます。30分の和やかな風景です。

[13:20] いくつものロープが垂れる登りを進むと横岳山頂です。山頂の祠の前で証拠写真を。ここの展望は素晴らしく、鳴之尾牧場の赤い屋根が、緑の中にチャーミングなワンポイントを醸しています。今まで歩いてきたルートが一望でき、その行程の長さに3mmくらい鼻が高くなります。
ここから林道に向けて下っていきます。この下りも厳しく、ロープを頼りに降り、断崖の上をそろりと歩き、時には転びそうになりながらも、踏み道とテープを頼りに進みます。
[14:40] 突然、目の前に林道が現れました。白山林道です。「おつかれさま」、何処からともなく声が漏れてきます。でも、「おつかれさま」ではありません。途中で見かけたとんがり山、刀剣山に向かうことになりました。ここから30分ほどの道のりです。

[15:30] その岩は大きく目の前を遮ります。垂れたザイルを手に登っていくと、そこは絶景、素晴らしい展望に一同リックを下ろします。今日の見納めに高隈の山々をしっかり目に焼き付けて林道にもどります。

[16:45] 刀剣山オプションツアーを1時間ほど入れて、林道をスマン峠登山口に戻っていきます。この長い道のりをワイワイと1時間ほど歩いて車に到着です。
ここで本当に「おつかれさま」。
9時取り付きの5時到着です。当初の予定どうりに8時間の山行でした。
さて、誰かが秋に高隈の見返草のことを思い出してくれるでしょうか。

 - 登山日誌

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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