霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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梅一輪ほどの暖かさ

      2015/02/19

梅一輪
梅一輪一輪ほどの暖かさ

今日はとっても寒かったですね。でも、暦の上ではもう春です。そろそろ里では梅が咲き始めています。我が家の庭でも蕾が膨らんで、パチッと弾けたように梅が一輪咲きました。

冒頭の俳句は服部嵐雪(はっとりらんせつ)の有名な句ですね。松尾芭蕉のお弟子さんです。今の季節をよく表していると思います。ほんの少しだけ、本当に少しだけ、梅一輪の花の分だけ春がきたという感じですね。

よく天気予報で「山沿いでは雪になるでしょう」という予報を聞きますが、我が家はその「山沿い」にあたるらしく、ここだけ雪ということがよくあります。今日も起きてみると愛犬・承太郎の水飲みには氷が張っており、庭は霜で真っ白という状態でした。でも、そんな中でも、この一輪だけ咲いた梅をみると、ちょっとだけ嬉しくなります。梅の白い花は、遠くからでも目立ちます。

田舎の特権で色々な木々を植えています。この梅の木はウッカタが植えた種が芽をだしたものです。最初は桃の木と言い張っていましたが、花が付くようになって、やうやく梅と認めました。実生の木は花がつくまでに時間がかかります。この梅も芽が出て10年くらいたっているかもしれません。

ほかにサクランボ、みかん、桃、栗など植えています。まだ、まともに実をつけている木は少ないです。果実類は3、5年くらいしないと実をつけてくれません。我が家は少しばかり日当たりが良くないので遅いのかもしれません。

木と付き合うというには時間が必要です。5年、10年単位の時間を考えておかないと木々たちとは付き合えません。杉の木などは三世代が関わるとも言います。「植える馬鹿、世話する馬鹿に、それを切る馬鹿」と言うのだそうです。私が植えた果樹たちの幾ばくかは、私が存在しなくなっても在りつづけるのでしょうね。でも、あまり実をつけてくれないと切ってしまうかもよ。

 - 田舎の風景

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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