霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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ソバの実がつきました

   

ソバの実

ソバの実が付き始めました。三角の実が花の間に見えています。まだ花もちらほらと咲いているので、あと1,2週間したら刈り入れというところでしょうか。

初めてソバを植えましたが、あまり出来は良くないです。

ソバは水を嫌う

ソバ畑

3kgの種をかって、その大部分を休耕田にうえました。ソバは水を嫌うということでしたが、種まきの前後で雨が降ったせいか発芽しないところが多かったです。上の写真は植えて2週間ほどたった頃です。上の田んぼに良いのですが、下の2枚の田んぼではほとんど発芽していません。同じように種を撒いたのですがねぇ。
余った種を畑に少しばかり撒いたのですが、そちらは良くできています。

隣の畑のおばちゃんが、田んぼはソバは合わないと言っていました。来年はどうしましょう。少し畝を高くして再挑戦するか、いっそのこと畑だけにするか・・・、ゆっくりと考えておきましょう。
肥料も多すぎて丈が伸びすぎということでした。水の管理と、少しばかり畝の間隔が広すぎたのこと、そして肥料の分量が反省材料です。

ソバ 施肥なし

ソバ 施肥なし

肥料については、比較のために一部、施肥をしなかったのですが、施肥をしない部分とした部分の差は歴然でした。やはり元肥は必要なようです。どれくらいの量を施肥すれば良いのかは、これからの勉強課題です。

上の写真が施肥した分で下の写真が施肥していない分です。随分と勢いに差があります。施肥の無い方は丈も小さい分、花の付きも少なく、当然ながら実の付も少ないです。

ソバ 施肥あり

ソバ 施肥あり

ソバの成長は早い

ソバは種まきから75日で収穫できるそうです。成長が早いので草取りは不要とのことでしが、本当に草よりも成長が早いかんじでした。今は花も終わり近いので雑草の方も追いついて来た感がありますが、借り入れも近いのでそのままで大丈夫でしょう。
もう少し畝の間隔を狭くすると草も少なくて良いかもしれません。

いよいよ収穫まじか

8月末に種まきしたので11月半ばで75日です。今週末は忙しいので20日前後の刈り取りになるかと思います。刈ったあとは、そのまま2週間ほど干して脱穀です。脱穀は稲とちがって簡単に実が落ちるのでシートの上でたたけば良いそうです。
出来は良くないですが新ソバを味わえるのも、もうすぐです。

 - 菜園

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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