今週の畑 日陰暮らしの夏野菜たちに希望の光を
週末ごとの雨や台風で放置状態の畑です。さつま芋が草の中に埋もれてしまっています。さつま芋だけでなくピーマンや枝豆などなど夏野菜が同じような状態です。
ただでさえ梅雨が長くて日照不足状態の野菜たちが、夏草に埋もれてしまって日陰暮らしです。可愛そうに・・・。
ということで台風が近づいているけど、まだそれほど雨も降っていないということで夏草退治です。
これほど草がはびこってしまうと手で抜いていくのは時間がかかります。そこで、反則技ではありますが草刈機で畝と畝の間の草を刈り取ってしまいました。後は畝の部分だけ手作業で草取りです。
刈り取った草は畝の間に敷き詰めておきました。草のマルチングです。これで草も生えにくくなるでしょう。たぶん。
これほど酷くなる前に地道に草取りすべきですね。週末農夫の哀しみは晴耕雨読。週末ごとの雨で雨読、雨読の週末でした。雨に打たれながら草取りをする根性はない軟弱農夫です。
ようやく顔を出してくれたさつま芋や里芋たちが楽しみです。豆類は小さな実をつけていました。この状態で南国の夏のお日さまエナジーをしっかりと受けて大きくなってほしいですね。枝豆のお伴のビール・・・楽しみです。
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最近のコメント
永野さん、返事ありがとうございます。
お会いできる日を楽しみにしております。
おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。
なるほど、興味深いですね。
史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。
私の興味は今のところ古代です。
国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。
永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。
ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。
あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
気色の森も近くにあります。
俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。