霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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薩摩川内の全国まごころ短歌大会へ行ってきました

   

全国まごころ短歌大会
いよいよ国民文化祭が始まりましたね。早速、薩摩川内市の短歌大会に行ってきました。
薩摩川内市では毎年、青少年対象に「まごころ青春短歌大会」を開催していて、私も少しばかりお手伝いしたことがあります。今年は国民文化祭が鹿児島で開催されるということで大人たちも応募できる短歌大会になっていました。応募も随分と多かったようです。

大会のお目当ては記念講演です。小島ゆかり氏と伊藤一彦氏の対談で、演題は「若者の歌・老いの歌」です。伊藤氏は高齢者の短歌大会の選者をされており、「老いの歌」はよく話題にされています。

小島氏が若者の歌と老いの歌を対にして5組用意していました。伊藤氏も同じように若老それぞれ5首を用意して対談形式で進んでいきました。
それにしても二人の息はぴったりでした。素晴らしい。

小島氏の若者の歌から一首

地方都市ひとつを焼きつくすほどのカンナを買つて帰り来る姉(服部真里子)

小島氏は恋の歌として紹介されました。カンナの赤が強烈な色彩となって浮かびあがります。上句の比喩が強烈ですね。いかにも若者らしい情熱を感じます。

対する老いの歌

もう充分にあなたのことを思つたから今日の私は曼珠沙華(宮英子)

同じ赤でも、カンナと違って落ち着いた趣の曼珠沙華です。ご主人の宮柊二氏が亡くなって少しあとの作品ということです。
赤い花をキーワードに、この2首を選んだ小池氏のセンスも素晴らしいですね。2首とも恋の歌ですが、その趣は随分と違います。

伊藤氏の選んだ歌で心に残った歌

靴の白 自転車の銀 傘の赤 生なきものはあざやかである(小島なお)

小島なおさんは小島氏の娘さんですね。この歌は伊藤氏が対談相手を意識して選んだのでしょう。
「生なきものはあざやかである」と言うことで、「生きていくことはあざやかでは無い」と言っているとの解説がありました。逆説的な抒情への展開が印象的です。また、伊藤氏は白い靴、自転車、赤い傘が、いかにも若い女性らしい言葉だと言っていました。

図らずも、今回紹介した3首とも色彩豊かな短歌でした。色彩豊かな短歌は、情景が顕ってきていいですね。ただ、私が同じようなことをすると、その景に引っ張られて短歌が薄っぺらになってしまいます。

今回は国民文化祭という事で、中央歌壇からも多くの歌人が鹿児島に足を運んでいます。15日は南さつまで短歌大会がありますが、残念ながら参加できません。絶叫コンサートに行きたかったなぁ。

 - 短歌

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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