霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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チェンソー製材に挑戦

   

チェンソー製材
チェンソーを使って杉の木を製材してみました。意外に簡単に出来たので紹介します。

まず、丸太の両方の切り口に2x4の板を木ネジで直接とめます。この時にきちんと水平をとります。今回は両方の切り口の芯に合わせて取り付けました。

チェンソー製材

次に、2x4の板を支えに板を木ネジでとめます。今回は1x4の板を使いました。この板がチェンソーのガイドになります。

チェンソー製材

私のチェーンソーは横の部分が比較的平面なので、この面をガイド役の板に滑らせるように縦引きしていきます。
長さが1mくらいなのでクサビを打ち込むまでもなく縦引きができました。

片面が終わったら裏返して反対側を切っていきます。先ほどと同じようにガイドを付け直して縦引きしていきます。

チェンソー製材

結果は中分使えそうな板にになりました。チェーンソー製材なので鋸目が残っていますが、用途によっては十分です。カンナで仕上げれば色々使えそうですが、今回はここまで。
厚みはガイドの板の厚さ+チェンソーの外装の厚さになります。概ね2cm+2cmで4cm程度のようです。両面に同じように芯にガイドを付けたので8cmの厚さの板が出来上がりました。今回の出来上がりを実測して次の製材の目安にします。

チェンソー製材

今回は細い丸太を使ったので、この厚めの板1枚で終わりです。大きい丸太の場合は4cmの厚さを考えながらガイドを付けていくことになります。
長さが1mだったので、このような簡易ガイドでもそれなりにできましたが、長い丸太だと木製ガイドでは難しいと思います。

家を建てるわけでもないので、この程度のなんちゃって製材でも十分使えそうなきがします。
庭にバーベキュー用のテーブルやベンチが作れればいいかな。なによりも積んでいるだけの丸太が利用できる板になるのが嬉しいです。

何か作ったら紹介しますね。

 - 田舎暮らし

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最近のコメント

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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