霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

歴史散策

可愛山稜 天孫降臨の主人公が眠る御陵

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可愛山稜瓊瓊杵尊の御陵である可愛山稜(えのさんりょう)をご紹介しましょう。

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高千穂に降臨してから神武天皇が東征を行うまでの期間を日向王朝と言います。その主役が日向三代とか神代三代と言われている神々です。古代では南九州全体を日向と言っていたようで、薩摩国、大隅国が分かれるのは、もう少し後の話です。

その日向三代の神々の御陵が鹿児島にあります。御陵の場所については色々な説がありますが、明治7年の治定により現在の地という事になっています。瓊瓊杵尊の御陵は、日本書紀に「筑紫日向可愛山之山陵」とあり、可愛山稜と呼ばれています。

可愛山稜は薩摩川内市にあります。新田神社の本殿を右に曲がって進むと宮内庁の事務所があり、その先が可愛山稜です。当然ながら山稜内に踏み入ることはできませんが、厳かな空気に包まれた静かな場所です。

御陵と神社が同じ場所にあるというのは珍しいのだそうです。私が行ったときは、ちょうど七五三の頃で晴着を着た子供たちが参道をあるいていました。そんな微笑ましい風景のなか山稜へ進むと、悠久の時間を思わせる楠の大木が出迎えてくれました。ここに天孫降臨の主人公が眠っているのかと思うと感慨深いものがあります。ちなみに瓊瓊杵尊の皇霊は霧島市の霧島神宮に祀られています。

新田神社

瓊瓊杵尊は天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめにきしくににきあまつひこひこほのににぎのみこと)という長い名前の神様で、天照大神の孫にあたり高千穂の嶺に降りたった天孫降臨の主人公です。その後、笠沙の地に移り、木花之佐久夜毘賣(このはなのさくやひめ)との間に三人の御子をもうけます。その御子たちの物語が山幸彦、海幸彦の物語ですが、そのあたりはのちほど

ところで瓊瓊杵尊が笠沙に移れて御所としたところが笠沙宮跡として伝わっています。そこには現在、「日本発祥の地」という石碑が建っていて、このブログでも紹介いたしました。南九州には神々の足跡が沢山残されています。このような古代のロマンを訪ねあるのも楽しいものです。機会があれば、ぜひ三代山稜を訪ねてみてください。

可愛山稜 アクセスマップ

31°49'39.9"N 130°17'33.6"E

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