霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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可愛山稜 天孫降臨の主人公が眠る御陵

      2015/02/15

可愛山稜瓊瓊杵尊の御陵である可愛山稜(えのさんりょう)をご紹介しましょう。

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高千穂に降臨してから神武天皇が東征を行うまでの期間を日向王朝と言います。その主役が日向三代とか神代三代と言われている神々です。古代では南九州全体を日向と言っていたようで、薩摩国、大隅国が分かれるのは、もう少し後の話です。

その日向三代の神々の御陵が鹿児島にあります。御陵の場所については色々な説がありますが、明治7年の治定により現在の地という事になっています。瓊瓊杵尊の御陵は、日本書紀に「筑紫日向可愛山之山陵」とあり、可愛山稜と呼ばれています。

可愛山稜は薩摩川内市にあります。新田神社の本殿を右に曲がって進むと宮内庁の事務所があり、その先が可愛山稜です。当然ながら山稜内に踏み入ることはできませんが、厳かな空気に包まれた静かな場所です。

御陵と神社が同じ場所にあるというのは珍しいのだそうです。私が行ったときは、ちょうど七五三の頃で晴着を着た子供たちが参道をあるいていました。そんな微笑ましい風景のなか山稜へ進むと、悠久の時間を思わせる楠の大木が出迎えてくれました。ここに天孫降臨の主人公が眠っているのかと思うと感慨深いものがあります。ちなみに瓊瓊杵尊の皇霊は霧島市の霧島神宮に祀られています。

新田神社

瓊瓊杵尊は天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめにきしくににきあまつひこひこほのににぎのみこと)という長い名前の神様で、天照大神の孫にあたり高千穂の嶺に降りたった天孫降臨の主人公です。その後、笠沙の地に移り、木花之佐久夜毘賣(このはなのさくやひめ)との間に三人の御子をもうけます。その御子たちの物語が山幸彦、海幸彦の物語ですが、そのあたりはのちほど

ところで瓊瓊杵尊が笠沙に移れて御所としたところが笠沙宮跡として伝わっています。そこには現在、「日本発祥の地」という石碑が建っていて、このブログでも紹介いたしました。南九州には神々の足跡が沢山残されています。このような古代のロマンを訪ねあるのも楽しいものです。機会があれば、ぜひ三代山稜を訪ねてみてください。

可愛山稜 アクセスマップ

31°49’39.9″N 130°17’33.6″E

 - 歴史散策 ,

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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