霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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あけまして、おめでとうございます

   

大海 部屋からのぞむ朝日

皆さま、あけましておめでとうございます。

正月は例年どおり宮崎の実家に帰ってきました。帰るといつもの通り昼間っから飲んだくれていました。いいですねぇ、懐かしい人たちと語らうひと時・・・。

漁港

私が生まれたのは宮崎県の北の方にある小さな漁村です。小さな漁港があって、港の淵に家があるような感じです。今は高い堤防ができていますが、私の小さい頃は自然の入り江が港になっているような処でした。港というよりも湊という感じですね。
そんなだったから台風の時なんかは庭先まで潮が上がってきていました。

恵比寿さん

港を見下ろす小高い丘に恵比寿さんが祀ってあります。この港を使う漁師たちが祀っている小さな祠です。祀ってある恵比寿さんは色も剥げてしまっていますが、長年の港を見守っているお顔は朗らかに笑みを浮かべています。田舎に帰ったときは、いつもお参りしています。

砂浜

近くには広い砂浜が広がっています。随分と長い砂浜で4Kmもあります。ここは年中サーフィンで賑わっています。真冬でもサーファーが海間を漂っています。寒くないのでしょうかねぇ。
砂浜が無くなったり痩せてきたという話が多いですが、この浜は逆に広がってきています。砂で埋まってきているんですね。子供の頃に遊んだ岩場や淵がすっかりと砂に埋もれていて風景が随分と変わっています。まぁ、しかし、砂浜はいいですね。すっかりとサーファーに占領された感じがしますが、いまでも良い散歩コースです。渚は天地海の交わる処です。

 - エッセイ

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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