霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

エッセイ

木を植えるということ

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木を植えるこの田舎屋を買ってから家の周りに木を植えています。実のなる木を少しずつ植えているのです。この木が実をつけるのは何時の事になるでしょうかねぇ。気長に待つしかありません。

短歌の仲間に木を植えて回っている人がいます。現代人が壊してしまった森を取り戻すために植えているのだそうです。
ドングリを拾って植えるところからしているのだそうですが、まったく気の長い話です。そんな木々が森になるまでには、どのくらいの時間が必要でしょうかねぇ。植えた人間の寿命では間に合わないのでしょうね。森を取り戻そうとしている人たちは、自分の死後の世界を見詰めているのでしょう。

木を植えるということは、そんな事ではないかと思う。

時間の尺度を木にあわせないといけない。私の植えた蜜柑も、すぐに食べることはできません。桃栗三年柿八年などと言いますが、まったくに木の時間と人間の時間は尺度が違いすぎます。

田舎に住んでいると、時間がゆっくりと進んでいるような気分になります。それは、きっと周りに木々たちの時間が溶けだしているのでしょう。裏山の杉の木の幹近くは、時間がゆっくりと進んでいるのかもしれません。木々の時間と人間の時間の界面です。緑の少ない町場では、そんな木々のもつ時間の影響が少ないのでしょう。

これからも、少しづつ木々を植えていこうと思います。1日や2日では全く変化がないですが、数年後には蜜柑の1個でも実をつけてくれることでしょう。高齢者、後期高齢者と呼ばれることには日蔭をつくって安らぎをもたらしてくれるかも知れません。もちろん、それまで生きている保証もないし、植えた木も枯れるかもしれません。しかし、苗木を植えないと何も始まりませんから。

このブログも蜜柑の木の苗のように成長していってくれるといいですね。

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