霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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そらきゅう 呑み続けるための穴つき盃

   

そらきゅう

飲兵衛は酒を飲むために色々と考える。

それは、時に愉快で、時に滑稽で、時に・・・哀しくもあります。さて、そんな飲兵衛たちが考えたのが「そらきゅう」です。

面白い名前の盃ですが、形も面白いです。

まず、そこがとんがっています。逆三角錐の盃なのです。つまり、テーブルに置くことを考えていない。置くことを拒否している盃なのです。この盃を持たされたて酒を注がれたが最後、飲み干すまで持っていないといけない。

しかも、なんと下の方に穴が開いているのです。酒を注ぐときは、その穴を指でふさいで注ぎます。つまり、酒を注がれたら、穴をふさいでいる指を外せないのです。

この盃を持たされたが最後、飲み干すまではテーブルにもおけない、他の人にも渡せない、つまり・・・飲み干すことしか許されない盃です。
「そらっ」と渡されたら「きゅー」と飲むしかない盃です。

誰が考えたのでしょうねぇ。やっぱり飲兵衛でしょうねぇ。

置きたくても置けない、放したくても放せない、だから盃を持ち続けている。盃は酒を飲むためのものだ。だから飲み続けている。
飲兵衛の三段論法。

私も持っていますが、日常的に使うものではないですね。飲み会の時の罰ゲームかネタ用の盃です。
焼酎用の酒器には色々なものがありますね。チョカやカラカラ、6:4メモリ付お湯割り用グラスなどなど・・・飲兵衛の探求心の賜物です。

 - エッセイ

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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