霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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開門岳(H21.2)

      2015/01/11

開聞岳開聞岳に登りました。
飲兵衛の年寄り予備軍が3人です。
男はシャイな生き物ですから、酒を飲むのにも理由が要ったりします。
飲兵衛が集まるために企画された山登り、開聞岳登山です。

開聞岳は久々です。
そうですねぇ、3年くらい登っていないと思います。
薩摩富士といわれるほどの綺麗な形の山です。
百名山ですが、百名山としては珍しい1000m以下の山です。
標高924m、低いような気がしますが、ほとんど標高のないところから登りはじめるので結構、きつい山です。

登山口の看板に「大人 登り150分、老人 登り180分」とありました。
若いと気にしないのですが、そろそろ老人という文字が気になり始めた3人は180分が気になります。
最初っからペースが速い。
7合目あたりから視界がひらけて海原が広がります。
とても天気がよかったので、普通だったら屋久島なども望めるのですが、黄砂がきているのか全体的に霞がかかったような感じです。
この辺りから岩場が多くなり、傾斜もきつくなってきます。
歳と普段の運動不足をかえりみず若がって頑張った登り初めが応えてきます。

頂上へは160分で登りました。
微妙ですねぇ、1人は若者に10分だけオーバーしたと喜び、もう1人は老人の域だと悔やんでいました。
まぁ、そんなに気にすることでもないような気がします。

おりたら指宿のヘルシーセンターなるところの露天風呂。
ここが、また、とっても素晴らしい温泉でした。
目の前に海がひろがる露天風呂です。
とっても開放感のある、ちょっとしょっぱいお風呂でした。

そして、今日のメインイベント、指宿の民宿で飲ん方です。
「夕食の準備ができたらお呼びします。」といわれたのに、もう、ビールが我慢できずに呼ばれる前に食堂に押しかけました。
民宿のおばちゃんが笑いながら、ちょっとあわててビールをだしてくれました。
夕食がおわったら部屋に引き上げて続き・・・2時まで。
懲りない面々の懲りない飲ん方です。

開聞岳 登山記録

登山者 谺、H、M

9:55 開門岳登山口(登山開始)
11:40 仙人道(8合目付近)
12:35 山頂(食事)
13:40 下山開始
15:30 登山口(下山)

 - 登山日誌 ,

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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