霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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雨の霧島 大浪池南直登ルート(H19/4)

      2014/12/31

雨の山行でした。
週の半場から傘マークが気になる山行予定でした。
最近の天気予報はよく当たります。
しかも、超雨男も参加しているようです。
今日は新湯から大浪池に直登するコースで初めてです。
新湯から大浪池東回りの電波塔までの電力線を辿る用に登って行きます。
このコースは登る人もほとんどいないコースですね。
12人のメンバーです。
9時から登りはじめて11時前に大浪池に着きました。
ここで早い昼食です。女性の同行者から差し入れが嬉しいひと時です。

大浪池から韓国岳も直登コースで結構な急登です。
途中で雨が降り始めましたが、雨具は上着のみで軽く・・・これが判断の誤りでした。
いつもなら登山客でにぎわう韓国岳山頂も今日は誰もいません。
この頃には雨は本降りになり吹き上げる風に震える羽目になりました。
それでも元気な人たちは記念写真など取っておりまいた。
私はパス。

韓国岳から獅子戸岳へと向かいます。
ここの下りは予想道理に大変な状態でした。
レギュラールートの賑わいで抉れた道が川のようです。
あちらこちらで誰かが滑っています。
人間があたふたしているのを蛙が出てきて眺めています。

獅子戸岳へ着く頃には開き直って雨の中をびちゃびちゃと進みます。
ここを下るときは凄まじい吹き上げの風にのって雨が下から降ってきます。
もう早くおりることだけ考えて俯きながら降りるしかないです。

いつもならツツジの咲いている鞍部も、このまえの寒波の影響か蕾が固いようです。
これにはちょっとがっかり。
「きょうは雨の山行の訓練かぁ」
そう思っていると目の前に黄色く垂れた花が広がりました。
霧島ミズキです。
数輪の黄色い花が房になって垂れています。
水木というくらいで、雨にとても似合っていました。

車についたのは5時でした。
いつもの倍ちかくの時間をかけての行程でした。
おりた後は一目散に温泉に直行です。
温泉でやっと生き返った心持でした。
随分とつかれた山行でしたが、たまには雨の霧島も良いかもしれません。

 - 登山日誌 ,

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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