霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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矢岳 見返草の花群れを愛でに(H19/10)

      2015/09/02

ミカエリソウ見返草、あまりの美しさに振り返ると名づけられた花。
その見返草を愛でに矢岳に登ってきました。
秋の山は沢山の花々が出迎えてくれます。
賑やかな赤系の花が多い春の山と違い、青い清楚な感じの花が多いのが秋の山でしょうか。
そんな秋山を彩る花に見返草があります。

昨年は見ることが出来なかった見返草です。
今年は是非とも群生を見たい。

何かと用事のある休日でしたが、大急ぎで片付けます。
時計を見ながら・・・大丈夫だろうかと思いつつ。
なんとか昼前に目処がついたので、同じ思いのパートナーに電話をしてみます。
「ちょっと遅くなりましたが・・・」
「では12時にいつものところで」

なんと昼からの登山となりました。
まぁ、3時間ほどの山ですから何とかなるでしょう。
皇子原の登山口についたのは1時でした。

いつも車のない駐車場は満車です。
鹿児島、宮崎、熊本の車もあります。
皆さん、良い花と良い頃合を良くご存知です。

何時ものように谷を超え、急な坂を登っていくと、所々に紫の花が見え始めます。
誰かが「試験管洗いのブラシ」といった房状の花です。
青紫蘇のような丸い葉っぱから一筋の茎がのびて、紫の小さい花が茎をまあるく取り囲んで並びます。
どちらかと言えば地味な花です。

急登がおわり緩やかになり始めた頃、目の前の風景が一変します。
頭上高く覆っていた雑木がなくなり、代わりに見返草が山肌を覆い始めます。
一面が紫の花園となっていきます。

頂上へ着き、そのまま北の方、夷守台方面に向かいます。
たどりついた丘は、見返草が一面を覆い尽くした丘でした。
素晴らしい。

花園に腰を下ろしてお茶とおしゃべり。
その一面に咲いた見返草は蜂や蝶の仕事場でした。
一心不乱に蜜をすっている蜂たちは、私達のことなど気づかぬように、あっち飛び、こっと飛びしながら慌しそうです。
お互いに干渉することもなく、花園での時間は過ぎて行きます。

いつの間にか霧がでてきて花園をソフトフォーカスの額縁にはめこんでいきます。
そろそろ帰る潮時のようです。
名残を惜しみながら、まだまだ早すぎる来年の見返草を想いながら見返草の丘を後にします。

そのまま、何時ものように竜王山の方に向かい、コルから下って裾野を皇子原の駐車場へ向かいます。
途中、真っ赤なきのこやヤマボウシの赤い実を眺めながら歩きます。
いつの間にか5時近くなっています。
最近、夕焼けがせっかちです。
そして森の中はちょっと暗い。
突然、蝉が・・・、たぶん彼らの鳴くのを聞くのは最後でしょう。
蝉は行く夏を惜しみ、私達はそんな彼らを惜しみつつ森を進みます。
薄暗くなって来た山道を急ぎます。

下り終わったら、もう1つの楽しみ、彼岸花を愛でます。
こちらも群生。
緑濃い杉のしたに、その杉を焦がすかのような真っ赤な花が根元を埋め尽くしています。ここの彼岸花も毎年、素晴らしい光景をみせてくれます。

二つの花群れに心を残しながら今日の山行はおわります。
ちょっと慌しい山行でしたが、心安らぐ山行でもありました。
また、来年も。

 - 登山日誌 , ,

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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