霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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韓国岳 紅葉を愛でに(H19/10)

      2015/01/10

紅葉その女人(ひと)は韓国岳の中腹にあります。
ピンと背筋を立て、赤い衣をまとって大浪池を背に佇んでいます。
彼女の名前は未椛(みか)。
未椛とは椛の木、その椛に山仲間が名づけてくれた名前です。
昨年は10月の最後の週に紅葉を愛でに韓国岳に登りました。
今年は残暑厳しく、一向に色づかない山を眺めておりました。
おりしも仕事が忙しくなり、誘われていた紅葉登山もキャンセルと思っていたのです。
しかし、ふと見上げると里山に赤い点々が。
もう、ダメです。
これはやっぱり紅葉を見に山に行かなくてはなりません。
あの、未椛さんに会いに。

9時、えびの高原につくと沢山の車が止まっています。
さすがに行楽シーズン、皆さん紅葉を愛でにきているのでしょうか。
さて、のぼり始めましょうか。

1合目付近から黄色く色づいた木々がポツポツと。
やっぱり無理してでも来てよかったと思った瞬間です。
沢山の人が登っています。
今日は山頂は賑やかでしょう。

ドウダンツツジや椛の紅葉を写真にとりながら歩いていると直ぐに山頂です。
火口を覗くと火口壁の紅葉が綺麗です。
おやっ、人が火口におりています。
蟻のように小さい粒がゆっくりと歩いています。
「あっ、あそこから登るんだぁ」
小さい粒はクレオパトラ峰に向かってちょこちょこと移動しています。

目的の未椛さんは韓国岳から大浪池へ降りる中ほどにあります。
その凛とした姿は突然に現れました。
大浪池のブルーを背景に身に付けた全ての葉っぱに紅をさして佇んでいます。
素敵です。

散々、写真をとって堪能して降りようかと思うと誰かが腰を下ろしています。
靴を脱いで。
「どうしたのですか」
「捻挫してしまって・・・」
つれが三角巾をだして居るうちに上から団体さんが降りてきました。
ひとりが手馴れた手つきで処置をしています。
遠巻きの野次馬と化した私達は三角巾とテープを渡して先に降りることに致しました。
山での怪我は大事になります。

大浪池まで降りて、少し早いと言うことで池の縁を東回りに行って食事です。
大浪池の青い湖面、火口壁の紅葉、振り向けば青空の中に天を突くような高千穂峰と霧島の山々、そんな中のベンチでリュックを広げます。
おにぎりを頬張る足元には秋竜胆、蜂がやってきて頭を入れます。

食事も終わって韓国岳非難小屋にもどったら消防のレスキュー隊員が登ってきました。
「けが人は?」
「そこから登ったところですよ」
そり状の担架を背負ってキビキビと登っていきます。
ヘリもやってきました。
先ほどの捻挫の人が自分で降りられなかったのでしょう。

ここからえびの高原の駐車場を目指す道も紅葉の素敵なコースです。
ヘリの音がひとところから聞こえています。
旋回を止めて収容しているのでしょう。
両脇の紅葉を愛でながら平坦な道を進みます。

韓国岳紅葉 登山記録

日時 平成19年10月28日
コース えびの-韓国岳-大浪池-えびの
参加者 私、memeさん、Oさん

09:10 韓国岳登山口 登山開始
10:40 韓国岳山頂
11:50 韓国岳非難小屋(大浪池)
12:25 大浪池東周り休憩所 昼食
14:30 えびの高原 下山

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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