霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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市房山(熊本) 桜山行(H20/4)

      2015/01/10

一房神社降水確率が70%もあったのに雨が降ってきません。
というわけで一房山登山決行!
6時30分に集合し、一路高速を人吉まで進みます。
人吉インターから219号線にのり市房キャンプ場を目指します。

途中のダムは桜が満開です。
ダム湖を取り囲むように桜が咲いています。
普通の桜ばかりと思ったら山桜、枝垂れ桜、八重桜などが同時に咲いています。
素晴らしい風景です。
桜は降りてからゆっくりと見ることにいたしましょう。

ダムから暫く進むと一房キャンプ場です。
キャンプ場から市房神社の参道入り口は近いので車はキャンプ場に止めました。
鳥居を潜って参道入り口から、まず一房神社を目指します。
このあたりは1000年の樹齢を数える杉の大樹があります。
その根が道をおおって石畳ならぬ杉の根畳の道です。
地元の方々が杉の苗を植えていました。
この苗が1000年後にはこのような大樹に育つのでしょうね。
そんな壮大な時間に想いが馳せます。

市房神社は突然に赤い社を晒しだしてきます。
ちょっと殺風景な拝殿と随分高いところにある奥殿、そして泊まることが出来るのでしょうか拝殿に焚き火のできる別部屋がついていました。
拝殿の壁を見てみると真っ黒くなった板絵がかけてありました。
良く見るとお坊さんのような人の姿が描いてあります。
ほとんど判別できない絵です。
この市房神社で4合目です。

さて、市房神社までは割となだらかだったので、ハードな山として名高い市房山を油断しておりました。
ここから6合目あたりまでが素晴らしく急登です。
いたるところに梯子状に組んだ木があり、ロープが下がっています。
やはり噂とうりの市房山でした。

7合目から先は、時々平らなところも現れます。
しかし、急登には変わりありません。
8合目を過ぎたあたりに山頂らしき姿が・・・でも、これは見せかけの山頂です。
ここで一気に元気が削ぎ取られてしまいました。
気力で9合目までくると、チラホラと黄色い花が・・・マンサクでした。
今年はマンサクを見ることが出来ないと悔やんでいたのですが、こんなところで出会えるとは思っていませんでした。
このあたりはマンサクが多いようで、頂上から見下ろすとマンサクの林がありました。
今年は花が少ないようですが、去年は素晴らしい光景だったそうです。

頂上は風が強くてマンサク展望所を確認して早々に下山です。
朝食は少しくだって風の当たらない場所で。
下りはその急な坂に驚きました。
ここを登ってきた自分にもちょっと驚きです。
膝が心配なのでスティックをだすことに。

市房神社を過ぎて膝が少し痛みだしたので、車道を歩くことにしました。
しかし、その車道の長いこと。
参道は直に森を進むのに、車道は九十九折になっています。
まぁ、考えてみれば当然のことですが、かえって足に負担が増したかもしれません。

山を下って、温泉で汗を流して、そして、桜です。
これもここにきた目的のひとつです。
ちょうど満開で一面桜で埋まっています。
カメラを手に花吹雪をまちがすが、待つと来ない風。
致し方なく車にのると、やっぱり・・・素敵な花吹雪。
今の時期が一番良いかもしれませんね。
でも、ここにはアケボノツツジが咲くとか。
ん~、もう道も覚えたから大丈夫です。

一房山 登山記録

8:40 市房キャンプ場 登山開始
9:30 市房神社
10:20 6合目
10:50 7合目
11:15 8合目
11:40 9合目
12:00 山頂
13:50 市房神社
14:40 市房ジャンプ場 下山

 - 登山日誌 ,

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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