霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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韓国岳(H19/9)

      2015/01/10

韓国岳山頂9月は休日の多い月です。
今週は敬老の日がハッピーマンデーで3連休、じっとしている訳にはいきません。
若いもんを無理やりに連れ出して韓国岳にちょっと。

台風が掠めていったようで雲の多い空です。
何時もよりも早く山に向かいます。
妖しい天気と早い時間のせいか、登山口には車がありません。
準備もそこそこに登りはじめます。

1合目、2合目、ぽっちゃり型の連れは意外に元気です。
私の前をどんどん登っていきます。
「最初は抑えろよ」
ちょっと牽制。

3合目、一番きついのがこのあたりです。
天気は時折小雨の降る程度で、いま頃の登山ではかえって良い按配です。
休んでいると後からのおじいさんが先にいきました。
そのおじさんを4合目あたりで「お先に」と追い越して5合目です。

ここで一休み、リュックをおろして、連れは煙草を、わたしは雨よけのウィンドブレーカを出します。
件のおじいさんが「お先に」。
「あのおじいさん、やすんでないですよねぇ」、連れが驚く。

これからは坂が緩くなるよと連れに言いながら頂上を目指します。
頂上には二人組の先客、そして件のおじいさん。
「えぇ~、82才ですかぁ」、そんな声が聞こえてきました。
なんと毎週登ってきてるとか。
恐れ入りました。
敬老の日、敬うには十分な元気の持ち主でした。

頂上はガスで一面真っ白、そして風。
そうそうに大浪池へ降りていきます。
今日は、大浪池からえびのへ向かうルートで帰ります。
降りる途中、右足に違和感が。
そうです、あの霧島往復縦走の感じです。
ちょっと不安です、来週は阿蘇の予定。

大浪池まで下り終わって非難小屋で昼食。
カップラーメンを作ります。
山での食事は何でも美味しいものです。
連れも満足そう。

また一緒に登ろうね。

韓国岳 登山記録

コース 韓国岳-大浪池・韓国岳非難小屋-えびの高原
参加者 私と若者1名
7:50 えびの 登山開始
8:29 5合目
9:04 韓国岳頂上
9:52 大浪池・韓国岳非難小屋
11:31 えびの 下山

 - 登山日誌 ,

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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