霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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霧島往復縦走(H19/9)

      2015/01/10

霧島縦走路私はまだ、霧島の縦走をしていません。
縦走をしていないとモグリだという者もいて奮発、往復縦走に参加する事にしました。

まだ暗いうちに集合場所の高千穂河原キャンプ場へ。
昨夜からの泊まり組みの気合の入った仲間達にもぐりこみちゃっかり朝食を。
そして暗いうちから出発です。
高千穂河原から韓国岳までの往復です。

中岳直下の頃には明るくなって、中岳急登を一気に登ります。
中岳頂上、まだまだ元気です。
休みもほどほどに新燃岳に。

新燃岳頂上、まだまだ元気です。
みんな休みもせずに進みます。
新燃岳の独特の火口湖に時折朝日が差し込みます。
火口壁は低い光に照らされながら霧が這い上がるように登っています。
幻想的な風景です。

コルの十字路で5人と別れます。
男性2人はこれから沢とか、女性3人は旧道を通って新湯に下るとか。
ちょっと心が揺れます。
この揺れにまかせて女性組みと共に行けば良かったと後から思うことに。
ここから4人で韓国岳を目指します。

獅子戸だけでは置き水を。
どうせ戻ってくるので不要な水を一先ずここに置いていくことに。
すこし身軽になったような気もして、健気に韓国岳を目指します。
このころから霧も晴れ、青空が見えるようになって来ました。

天気予報が芳しくなかったので、縦走路にしては珍しく人にあいません。
まぁ、早いこともあります。
まだ8時です。
韓国岳頂上も9時30分に着いてしまいました。
出発したのは5時30分、4時間の道のりでした。

まだ昼食には早いので、軽く果物などを食べて戻りにつきます。
果物、毎回の差し入れは有り難く頂きます。
韓国岳を下り終わるころから右足に違和感が。
下りはどうもねぇ。
登りは問題ないのだけど。
獅子戸岳の下り、ちょっと痛い。

「ここから食べ物、飲み物は控えましょう」
リーダーが声をかけます。
そうです、先に下りた女性組みが素麺を用意して待っているのです。
素晴らしい。
それにしても彼女らは待ち遠しいことでしょう。
あと2時間くらいは掛かりそうです。

無難に進んで中岳の下り。
やっぱりちょっと痛い。
皆さんに先に行って貰い、ゆっくり降りていきます。
歩けないほどではない。

降りてきたら女性組みのお出迎え、そう、素麺と一緒に。
嬉しいです。
既に霧も晴れ、高くなった太陽に体力も限界一杯です。
冷たい素麺が喉を通って行きます。

ところでこの往復縦走、えびの高原を目前に韓国岳から引き返している。
つまり高千穂河原とえびの高原の間を完破していないので、往復縦走なれど霧島縦走としては認めないとか。
もうモグリのままでもいいかもしれない。

霧島往復縦走 登山記録

霧島往復縦走 高千穂河原-韓国岳往復
参加 男性5名、女性4名、往復縦走は男性3名、女性1名。
5:31 高千穂河原 登山口
6:30 中岳山頂
7:03 新燃岳山頂
7:32 新燃岳・獅子戸岳 鞍部
7:55 獅子戸岳山頂
9:33 韓国岳山頂
11:13 獅子戸岳山頂
11:57 新燃岳山頂
12:24 中岳山頂
13:13 高千穂河原 下山

 - 登山日誌

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最近のコメント

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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