霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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矢岳に紅葉を愛でに(H20.11)

      2015/01/11

霧島の紅葉お姉さま方に誘われて紅葉を愛でに霧島に。
向かう先は矢岳です。
紅葉の見ごろは例年でしたら10月末あたりからでしょうか。
今年は暖かかったのでどうでしょうかねぇ。

お姉さま方との待ち合わせは霧島神宮、ちょっと手違いはあったものの高千穂河原に移動して登り始めます。
いつものように旧宮に一礼をして、旧宮の脇を入り矢岳に向かって進みます。

「紅葉には早いかなぁ」、そんな事を思いながら、しかし、口には出せずに進んでいくと高千穂峰の北面が覆いかぶさるように見えてきます。
その高千穂峰を背に赤い実を枝一杯につけた木が所々に。
ヤマボウシの実です。
今年の夏のヤマボウシの花は見事でした。
花の多かった分、当然、実も多くつくわけでして、今回の山行の間中、ヤマボウシの実を見かけました。
なぜか、一部に「マメ」と呼ぶお姉さまもいらっしゃいましたが。

分岐を右におれ、沢を二つ渡って進めば竜王山の麓です。
この辺りから山肌に赤い模様が増えてきました。
やはり秋ですねぇ。
季節は紛うことなく過ぎ、折々の山模様の見せてくれます。

竜王山を奥の方から登り始めると、お姉さま方のちょっとトーンの高くなった声があちらこちらから。
モジミの紅葉の素晴らしいこと。
このあたりは登る人も少なく穴場です。
しっかりとルートチェックしておかなくては。

竜王山の山頂で、ちょっと早めの昼食。
それから矢岳へ向かい、春に見れなかった見返り草の咲き終わった花穂を眺めて、鞍部から降りていきます。
皇子原-高千穂河原ルートを縦列行進で・・・おしゃべりしながらの帰り道です。
ほとんど出会う人もおらず、もう写真も取ることもなく、つきることのないおしゃべりを聞きながら、ひたすら靴紐をながめながら歩きました。
帰り着くと紅葉狙いの写真家が出迎えてくれました。

紅葉にはほんの少し早かったかもしれません。
でも、今年のようだと、紅葉せずに散ってしまうのかもしれませんね。
秋の霧島、山裾でひそかに色づく紅葉、それをそっと(でもなかったけど)愛でる山行でした。

矢岳 紅葉登山 登山記録

竜王山・矢岳に紅葉を愛でに

参加者:7人

8:40 高千穂河原(登山開始)
9:30 竜王山への分岐
10:30 竜王山麓 紅葉見事
11:20 竜王山 山頂(昼食40分)
12:30 矢岳山頂
13:00 矢岳鞍部(下山開始)
13:30 皇子原-高千穂河原ルート
14:00 竜王山への分岐
14:40 高千穂河原(下山)

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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