霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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竜王山(H20/3)

      2015/01/10

炭化木[6:30] 今日は霧島に連れと登る日だ。天気は晴れ、何時もの時間に起きて準備を始める。今日は新しい靴とリックの慣らしもしておきたい。
[7:00] 早めに食事をとって急がなければ、待ち合わせは8時だ。
[7:30] やっと家を出ることができた。コンビニによっておにぎりと飲み物を調達する。
[8:00] なんとか間に合った。今日の行き先を決めなければならない。意見が分かれジャンケンをすることに。負ける。
[9:00] 高千穂河原に着く。新しい靴とリュックを身につけ山に入っていく。今日は矢岳・竜王山の鞍部を目指し、竜王山から炭化木の沢を抜け帰ってくるコースをとる。なんども行ったコースである。
[10:10] 竜王山直下の沢を抜けると心地よい森が広がる。突然、鹿が走り始める。5,6匹はいただろうか。鹿は人間に、人間は鹿に驚いてしまう。1匹はぐれたのか、何時までも甲高い声でないている。
[10:30] 鞍部にでる。今日の登りは終りだ。後は簡単な行程・・・のはずであった。
[11:00] 竜王山山頂。相変わらず愛想の無い山頂である。小さい看板がひとつだけ山頂である証に立ててある。
[11:20] 竜王山をくだり沢を越える。ここを確認することが今日のミッションである。ミッションは達成した。
[12:00] 枯れ沢にでたので食事を取る。ここで問題が発生する。時間をとり過ぎたのだ。昼食で3時間も費やすとは予想外だった。問題は何時も安心したころに発生する。
[16:00] 高千穂河原にもどる。問題はあったが全工程を終了することができた。

 - 登山日誌 ,

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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