霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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大幡池 えびのルート(H19/10)

      2015/01/10

大幡池幡池は数ある霧島の火口湖のなかでも湖畔まで行くことのできる数少ない湖の一つです。
山上湖として日本最大の大浪池、霧島山系で一番標高の低いところに有る御池、琥珀色に佇む六観音御池、霧島の火口湖はそれぞれに趣のある湖が沢山あります。
その中でも大幡池の静かな佇まいは私のお気に入りの場所です。
霧島連峰の主役は韓国岳から南東につらなる霧島縦走路の山々でしょう。
その縦走路途中、獅子戸岳と新燃岳の鞍部に直に交差している登山道があります。
縦走路とほぼ直行する形である夷守岳と新湯林道を結ぶ縦走路です。
その縦走路上に大幡池はあります。

大幡池に行くには4つのコースがあります。
件の縦走路を夷守岳側から行くコースと新湯林道側からのコース、それと縦走路の側面、高原側、えびの側からアプローチするコースです。
夷守岳の登山道は直登で霧島山系でも有数の急登コースです。
新湯林道は距離が長くミツバツツジの頃には人気のコースですが、大幡池のためには距離があります。
そこで高原側、家族連れに人気の夷守台から直に大幡池を目指すコースを多用します。
ここも急登ですが1時間ほどで大幡池に着くことが出来ます。

しかし、きょうは始めてのコース、夷守台からコースとは反対側、つまりえびの側から大幡池をめざします。
待ち合わせ場所はコスモスで有名な生駒高原。
時はコスモス満開の秋、きょうも多くの人で賑わうであろう生駒高原もまだ人もまばらです。
今日は6人で大幡池を目指します。
大幡池から丸岡山を経由して夷守岳までの折り返し登山です。

生駒高原から林道をすすみます。
2台の4輪駆動車は大幡池登山口をめざして進みます。
普通車では底がつきそうな山道を30分も進むと登山口がありました。
登り口は標識がないとタダの山肌です。
ちょっと先行きが不安になりそうな登り口です。

早々に準備して登り始めると直ぐに緩やかになり、広い林道が現れました。
あまり登る人も少ないであろう登山道は広く整備されており秋の淡い光が山道を照らしています。
しばらく進むと大幡池方面と獅子戸だけ方面への分岐に差し掛かります。
それを左におれ大幡池へ向かいます。

ほとんどフラットな道を進むにつれて、小さな沢や湿原が現れます。
山の風情をゼイゼイと言うでもなく緩やかな歩きで楽しみます。
1時間ほどでしょうか、目の前に突然「青」が飛び込んできます。
大幡池です。

なじみの有る大幡池の取水口から対岸のほうです。
湖畔におりて取水口の方に歩いていきます。
連れが石を投げています。
どうして男は海や湖の辺では水切りの石を投げたくなるのでしょうか。
ぽちゃん、石は一度も跳ねずに水面に同心円を描きます。
悔しそうにもう一度、更に・・・、大人のなかの子供の心が小さな波紋になっては消えていきます。

いつも風のある湖畔をさけて風裏の広場で一休み。
何時ものように皆さんの差し入れが・・・、ありがとうございます。
ちょっと太目の魚肉ソーセージを誰かが取り出すと、なぜかマヨネーズが出てきます。
一口ご相伴にあずかります。
笑いのこぼれるひと時は、大勢で登る楽しみでもあります。

大幡池を後にして夷守岳を目指します。
しばらく進むと丸岡山の山頂です。
遠めに見るとまぁるくて名前どうりの山です。
それでも実際に登るとちょっとした坂道です。
ここで一人がお留守番で残ります、きのう沢で打ったところが痛いとか。
のこり5人で急登、夷守岳をめざします。

思ったよりも急だった坂を上り詰めて夷守岳山頂です。
正面に新燃岳、山頂のぽっちょり岩が見えます。
右手に韓国岳、左手に高千穂峰と霧島縦走路の山々を一望しながら昼食をとります。
足元には秋の日に蕾を開いた秋リンドウの青い花が開いています。

最近、下りで足の痛みを覚えます。
夷守岳の下りはきつく、ステックをとりだしてゆっくりと降りていきます。
途中、お留守番と合流して来た道を辿っていきます。
いつしか反対側に傾いた太陽に湖面が照らされて輝いています。

はじめてえびの側から大幡池に登りました。
登り下りも少なくゆっくりと登れるコースでした。
今度は少し荷物をせおって、湖畔でバーベキューでも。
そんな良からぬ想いがよぎる帰り道でした。

大畑池 登山記録

日時 平成19年10月20日
山行 えびの-大幡池-丸岡山-夷守岳 折り返し
参加 Hさん、Oさん、Aさん、H夫妻、私

7:50 生駒高原待ち合わせ
9:20 えびの側登山口 登山開始
9:50 大幡池・獅子戸分岐
10:15 大幡池
10:50 夷守台:丸岡山分岐
11:10 丸岡山山頂
11:55 夷守岳山頂 昼食
13:05 丸岡山山頂
13:25 大幡池
14:25 えびの側登山口 下山

 - 登山日誌 ,

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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