霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

*

霧島連山 樹海を家族山行(H19/5)

      2015/01/10

ミヤマキリシマ今日は久々の家族山行です。
霧島はツツジの季節です。
入山者が多くて、高千穂河原の駐車場も満杯になります。

今日はそんな喧騒の縦走路をさけ、あまり山歩きしていない者でも大丈夫な新燃岳の麓の樹海をあるくコースにいたしましょう。
ここはツツジも綺麗です。

あさ、9時に高千穂河原につくと、もう駐車場は一杯です。
宮崎、山口からの大型バスも止まっています。
いまの季節、霧島は大人気です。

そんな喧騒を横目で眺めながらいつものように霧島神宮の旧宮跡から入っていきます。
暫くすると躑躅ヶ原です。
ああ、この名前は勝手に付けました。
杉林から抜けると草原が広がっており、そこにミヤマツツジの群生があります。
いつもだったら、ピンク色に染まっているはずの草原も、まだ蕾がめだちます。
それでも、いくつかの先走り者がポツリ、ポツリと花をつけています。
何処にでも組織に馴染まない者がいるものです。

躑躅ヶ原を抜けると皇子原へ向かう樹林ルートです。
もう翠も濃くなった木々の作る影が、折り重なるように登山道を覆っています。
そこに何とか地表へ届こうという木漏れ日が所々を白く照らしています。

皇子原ルートを左に曲がり、しばらく行くと道筋に湧き水があり、樋が通してありました。
小さなお猪口がおいてあります。
そこで口を漱ぎ喉をうるおしてみました。
冷たい水が喉元を通り過ぎていきます。
日常で、あたりまえのように使っている水、その水のありがたさ、心地よさ、神聖さが喉元から伝わってきます。

いつもだったら素直に左に曲がって樹海に入っていくのですが、近いので炭化木を見に行くことにしました。
相変わらず自然の時間、雄大さ、力を見せてくれる炭化木です。
もう随分前に噴火した霧島の山、そのときに立ち木のまま炭と化した木々が、沢の水によって姿をあらわした物です。
往復でも10分程の寄り道です。

樹海にはいって暫くすると、ツツジの群生がありました。
ここのツツジは満開です。
新燃岳の稜線を借景に、咲き乱れるツツジの庭園。
素晴らしい光景です。
どうして、植物は声もなく見ることもできないのに、申し合わせたように一斉に咲くのでしょう。

草原に出ました。
しかし、ここのツツジは蕾も固く、「また、来てくださいね」と催促しているようです。
この辺りになると随分と高度も高いのか、低層のツツジが草原に一杯です。
これが咲いたら・・・、そう思うと、また来るしかないでしょう。

観光ルートと化した縦走路を新燃岳、中岳と皆さんと一緒に歩きます。
ぽつぽつとツツジの咲いているところもありますが、まだ少し早いようです。
おやおや、子供を背負った人がいますよ。
1歳くらいでしょうか。10Kgくらいでしょうか。
それにしても歩くのが早い。

中岳の下の方は観光客で一杯です。
皆さん、霧島のツツジ、自然を堪能しているようです。
いいですねぇ、自然の力を一杯受け取って帰ってくださいね。
おやおや、子供がないていますよ。
疲れたかなぁ。
お母さんも、ここで抱っこして歩くのは大変でしょう。
あら、あら、おいて行かれそうです。
あ~あ、泣きながらついていっていますよ。
そうやって自分の足で歩く事を教わっているのかも知れませんね。
青い空と翠の木々、大地を薄紫に染めるツツジ、その間を吹き抜ける心地よい風。
そんな霧島の山での一コマの風景です。

 - 登山日誌 ,

adsense

adsense

最近のコメント

このブログでは記事ごとのコメントは設けておりません。
ご意見、ご感想などは、ゲストブックに書き込んでくださると有り難いです。


  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

  •   関連記事