霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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矢岳・竜王山 ヤマボウシ(H19/7)

      2015/01/10

ヤマボウシ今日は花山行。
ヤマボウシを愛でに皇子原から矢岳に登り、竜王山を下って皇子原に戻ってくるコースです。
5時間程で霧島でもヤマボウシの多い山で、思いっきり堪能する予定です。

今日は3人で登りはじめます。
10時21分に登りはじめました。
ここから沢を越えて、矢岳山頂まで急登になります。
沢ごえに矢岳を望むと山肌に白いヤマボウシの木がポツリ、ポツリと見え期待が高まります。

矢岳中腹にナツツバキの白い花を見つけました。
始めてみる花です。
そのナツツバキを切っ掛けにヤマボウシの白い花が登山道に現れれるようになりました。一年ぶりです。
去年はたしか、7月8日、今年は1週間早い訪問です。

山頂に着いたのは11時58分、この山には珍しく団体さんがいました。
皆さん、ヤマボウシの咲く時期をしっているんですね。
梅雨時期というのに、日頃の行い良く晴れ空です。
山頂では暑いので少し下って昼食をとることにします。
暫く降りると目の前に大きなヤマボウシのある日陰があったのでここで。

「あのヤマボウシきれい」
「あの木に登って写真とってよ」
「えぇ~」
乗ったとたんに朽ちた木がミシミシと音をたて・・・折れてしまいました。
まぁ、こんなアクシデントも楽しいものです。
このあたりはヤマボウシが沢山咲いています。

1時11分に竜王山山頂に着きました。
しばらくの休息、ここから余り分からないコースになります。
不安を抱きながら沢を目指して降りていきます。

30分ほどで降りて沢を渡ります。
このあたりの沢には炭化木を見ることができます。
歴史の証人達です。
沢を上がり、樹海の見慣れてコースを皇子原に向かって進みます。

2時36分に高千穂河原、皇子原分岐に着きました。
小休憩。
ここから左に曲がり皇子原を目指します。
途中、変なきのこをいっぱい見つけました。
やはり梅雨時期です。
きこのが元気いい。

皇子原に着いたのが3時34分。
ほぼ5時間の山行でした。
ヤマボウシの白い花を堪能し、色々な花、きのこを愛でた楽しい一日でした。
さて、花を愛でる山行は秋までお休みでしょうかね。
本格的な夏がやってきます。

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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