霧島の麓にて

霧島の麓から田舎暮らしの日々をつづります・・・山登り、短歌、そしてパソコンな日々

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時の子宮 縄文の森をテーマにした短歌連作

   

勾玉

縄文の森を素材にしたした短歌の20首連作です。

題名は「時の子宮」です。コンクール用に作ったので題名も目を引くものにしました。ちょっとセンセーショナルな題名でしょう?
テーマは悠久の時間とその末端にある私というところでしょうか。連作はテーマが大切ですね。
並べ方も物語性を出すのに工夫が必要です。とくに1首目はガツンといきたいです。
素材から物語を紡ぎだし、そこからテーマが感じ取れるような連作を作りたいのですが、上手くいった試しがありません。でも、連作をつくるのは嫌いじゃありません。

靴底の砂粒ほどを生きてをり 二万四千年の時を超えつつ

24,000年の地層を眺めていると、自分の存在の小ささ、短さを感じます。つまり、地層の一番上っ面の砂粒一つくらいの時間が私の生きている時間というところです。

哀しみは愛しみにして一粒の砂となりたり縄文の民

地層の上っ面の末端が私ならば、底の方にあるのが縄文の民。彼らもまた砂粒一つくらいの時間を精一杯生きた。そんな砂粒ほどの生き様の積み重ねが今まで連なっているという感じでしょうか。ちなみに「哀しみ」も「愛しみ」も「かなしみ」と読みます。

縄文の森より出でし土偶には時計を持つもの一人もをらず

実際には上野原遺跡からは土偶は出土していないと思います。ここは創作の部分ですが、きっと今のように時間に縛られる生活はしていなかっただろうという羨望です。裏返して現代人の悲哀をこめています。

肥大せし勾玉ありぬ かの代にも上司ゐてはた部下がゐたらし

時計を持っていなくても、勾玉があります。勾玉は権力の象徴。勾玉の大きさは権力の大きさに比例しているのかもしれない。そこに私の居る世界と同じような構造を感じるのです。

自分の歌を解説するのは、お笑い芸人さんがネタの解説をするようなものです。読む側は、とってもつまらない。短歌は読む人が自分の経験、想いを重ねて、それぞれに解釈すれば良いのです。まぁ、しかし、私の想いの押しつけも、4首くらいなら許してもらえるかな。

残りはどうぞ、ご自由に解釈ください。
鑑賞に堪える歌ではないと思いますが。

【時の子宮 】

永劫の時塗り固めし舗装路を車が走る遺跡の里は
縄文の森に初音の沁みてゆく永劫回帰の響きをもちて
靴底の砂粒ほどを生きてをり 二万四千年の時を超えつつ
失ひし時を求めて掘り進む内なる地層は古代に続く
縄文の地層は静かに記憶せり人の哀しみ人の苦しみ
連なれる時の鎖の最後の輪いま覇者のごと夕日見送る
埋まりたる時の鎖を掘りおこし磨けば原始の我の顔あり
穴掘りて獣を追ひこむ日常か積み重なりて今日の朝礼
肥大せし勾玉ありぬ かの代にも上司ゐてはた部下がゐたらし
積み上げて地層のごとき書類なり縄文後期が蠢きはじむ
卓上の暦に×を書くように時の憂ひがわれに重なる
哀しみは愛しみにして一粒の砂となりたり縄文の民
団栗の形の家で団栗の夕餉を取りしか縄文人は
縄文の森にトラロープ いつの世も制することの好きな為政者
縄文の森より出でし土偶には時計を持つもの一人もをらず
足下のパノラマ見下ろす頭上から時の連鎖の呟き聞こゆ
後の代に遺さむ物は何も無し古代の壷に諦めを詰む
今日もまた未来をひとつ葬れりわづかに紅き余映の彼方に
霊峰を見上ぐる宙の一点に神々のぞく昼月の穴
屈み入る縄文住居よ常しへの時の子宮にわれは眠らむ

 - 短歌

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  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/30])

    永野さん、返事ありがとうございます。
    お会いできる日を楽しみにしております。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/30])

    おはようございます。パソコンに短歌に史跡巡りに山登りに米作りにバーベキューなどなどにとお忙しい毎日を楽しんでおられるようです。
    今度そちらにお伺いするときは連絡差し上げてみたいと思います。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/28])

    なるほど、興味深いですね。
    史跡めぐりは好きですがテーマがあると面白くなりますよね。

    私の興味は今のところ古代です。
    国分は古代と先端技術がが同居している面白い場所です。
    私は日向市の生まれでれ宮崎市で暫く仕事して今は国分に住んでいます。。ここに来た時に宮崎神話と思っていた海幸彦山幸彦の主人公の御陵が近くにあったのが興味を持ち始めた発端です。

    永野さんおブログを拝見しました。国分方面にも良く来られているのですね。こんど来られるときはご連絡ください。時間があえばお会いしたいものです。

  • ゲストブックへのコメント (永野より[05/28])

     ご返事ありがとうございます。800年前の話、やはり無理ですね。
    俊寛が実際にこれらのルートを通って流されたかどうかは事実ではないのではと思いますが、長門本を書いた作者(複数かも)は本に出てくる地名を知っていたと思われますし、この本が書かれた当時はこのルートが一般的によく知られていたものと思われます。
     俊寛らが出港した港はまずは隼人のAZの近くの港から、鹿児島に立ち寄り最終的には坊津からのようです。このことについては「広報きりしま」(何号かはメモしてなくて不明ですが最近です)の20ページに詳しい記載があります。
     私のブログ「宮崎(都城)からの便り」の中の史跡巡りまたはぶらり旅の欄にもコチョコチョと書いています。参考になれば・・・。

  • ゲストブックへのコメント (yamaboushiより[05/26])

    あの足摺の俊寛ですか。俊寛が我が家のちかくを通っていたとは感慨深いものがあります。
    残念なが止上から財部への古道は判りません。今では国分と財部を結ぶ県道2号線が近いと思います。
    気色の森も近くにあります。

    俊寛が流刑地に向かって出港したという石碑が鹿児島市の天文館にあるそうなので、国分から加治木を通って白銀坂を登ったのでしょうか。
    私も機会があったら薩摩街道などを訪ね歩きたいと思います。

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